瀬戸内の海と山に抱かれた町、多度津町。
多度津町の町なみや建物からは、江戸・明治・大正・昭和と様々な時代の面影が残っています。
往時の雰囲気を楽しみながら、ゆっくりと歴史の足跡を感じてみてください。
春には町花町木である「さくら」が楽しめるコースです。
町政施行100周年を記念して建設されたもので、主として多度津町にゆかりのある文化財等の資料を収集して一般に公開しています。
こんな優しい館長さんがいたら毎日でも通いたくなるでしょう。多度津町立資料館の館長を務める川元紀恵さんがその人です。多度津町の歴史を伺いに足を運ぶと、多度津藩誕生の経緯から、多度津七福神の繁栄の様子や四国初の電気鉄道開設の裏話まで、地図を見ながら丁寧に解説して下さいました。生まれも育ちも多度津町で、まさに多度津の生き字引とも言える川元さんですが、元々は事務員だっというから驚きます。コツコツとした働きが評価され、10年ほど前に館長に任命されました。資料館はかつてのお屋敷を改築して建てられており、古文書から玩具に至るまで幅広く資料を所蔵しています。近年では自分史を作るために資料館を訪れる人も増えたそうで、川元さんはルーツ探しのお手伝いをして喜んでもらえたことが忘れられないと言います。いつも大人から子どもまで楽しんでもらえる企画を心掛けており、スタッフ一同「ちょっと気軽に立ち寄れる」資料館でありたいと願っています。
江戸時代、多度津藩が陣屋を構え、明治時代には多度津七福神と呼ばれる大商人を中心に交易の町として栄えました。北前船の停泊地として、また金毘羅参りの玄関口として、大量の物資と人が行き交いました。四国随一の港であった多度津港、四国の鉄道の発祥地である多度津駅、いまもなお町の中心部に残る町家や蔵屋敷を巡ると、当時の面影を偲ぶことが出来ます。町制施行100周年を記念して建てられた町立資料館には貴重な文化財等が保管され、一般公開もされています。
鍋ホルうどんは牛肉が高価だった1957年ごろ、町内の老舗焼き肉店が旧国鉄の多度津工場の職員らに「安くてうまいものを」と鍋ホルモンを考案し、シメとしてうどんを入れて食べられていました。下記の店舗で味わうことができます。
・いこい
・ひろ濱うどん 多度津店
・平野屋 など
春になると約1,500本のソメイヨシノが咲き誇り、県内外から大勢の花見客が訪れる香川でも有数の桜の名所として知られています。小高い山の上にあることから、北には瀬戸内海、南には讃岐平野、四国山地を望み、四季折々の讃岐の風景を楽しむことができます。公園のシンボルである「一太郎やぁい」は戦争の悲しさをいまに伝え、眼下に広がる町家と造船所からは多度津の歴史が見てとれます。
日本全国におおよそ2000ある「道院(修業の場)」の総本山です。本堂には心と体の両面を偏りなく鍛えることを説いた「拳禅一如」、錬成道場には力と愛の調和を説いた「力愛不二」の書が掲げられています。いまや世界中で親しまれている少林寺拳法ですが、そのルーツは釈尊(お釈迦さま)の正しい教えと達磨大師(禅宗の始祖)の修行法にあります。昭和22年、創始者の宗道臣が多度津の地で金剛禅を開き、少林寺拳法はその修行の一つとして生まれました。年に数回開催される総本山の行事には、各国からも門下生が訪れます。
※見学を希望される方は、必ず事前に連絡をしていただきますようお願いします。
If you would like to visit, please contact us beforehand.
「目によく効くお茶を飲んでいきませんかー?」来訪者が訪れる度に門前のお土産物屋さんからはお接待の明るい声が響き渡ります。ご本尊に『眼なおし薬師』として親しまれる薬師如来像を構える四国八十八ヶ所霊場の第七十七番札所です。境内に入るとすっきりと空が抜け、そこに静かに佇むだけで心も体も癒されます。空海ゆかりの寺として名高い善通寺を含む近隣7つの寺を一日で巡礼する「7ヶ所まいり」の一つにも数えられます。
その名の通り本坊は海岸のすぐ脇にあり、県道を挟んだ奥の院からは瀬戸内海を眺めることもできます。真言宗の開祖・空海の母親である玉依御前の出身地とされており、空海もまたこの奥の院で生まれたと言われています。本坊にある山門には仁王像の代わりに郷土出身の力士を象った二体の金剛力士像が並び、その珍しい風景に訪問客はカメラのシャッターを切ります。夏になると遠浅の海岸で潮干狩りを楽しむ親子の姿がよく見られます。