多度津町は古くから天然の良港に恵まれ、港を中心に発達してきました。
瀬戸内海に浮かぶ「高見島」と「佐柳島」では、ゆっくり流れる時間の中で日常を忘れてリラックスできます。
この土地で暮らす人々の笑顔にも出会えるコースです。
周囲6.5kmの小さな島に標高297.3mの龍王山があり島の大半が急傾斜地ですが、その斜面に集落を構えるために築かれた浦地区の立派な石垣が往時の隆盛をいまに伝えます。古き良き日本を思い起こさせる美しい風景は『瀬戸内少年野球団』や『男はつらいよ 寅次郎の縁談』など名作映画のロケ地にも選ばれたほどです。また、2013年、2016年に開催された瀬戸内国際芸術祭では会場の一つとなり、期間中は多くの観光客が訪れました。
多度津港で瀬戸内海の新鮮な海産物を取り扱う有限会社宮崎海鮮總業の代表取締役を務める宮崎正満さん、御年75歳。高見島で旅館とスーパーを営むご家庭に生まれ育ちました。幼少時代の思い出を楽しそうに語る姿からは、本当に島への愛情が染み出すようです。島での一番の思い出を伺うと「やっぱり秋祭りやなぁ。」と当時の様子を熱く語って下さいました。いまでは島の人口も100名を下回るまでに減りましたが、当時は1,500人ほどが暮らし、老いも若きも男も女も祭りに熱狂したと言います。島の男衆がだんじりを引き、八幡様に奉納する際に歌った歌を宮崎さんはいまでも歌うことが出来ます。そんな宮崎さんに今後の夢を尋ねると、「高見島の祭りを復活させることが夢。」と力強く語ってくれました。2016年秋に開催される瀬戸内国際芸術祭に合わせて、ご実家を改装して食堂を開くことも計画しています。遠くから訪れた人に是非とも島の味を楽しんで欲しいという気持ちからの挑戦です。宮崎さんの島への愛情が尽きることはありません。
高見島には名物お母さんがいます。フェリー乗り場で毎日切符を販売している坂元初子さん、68歳です。初子さんは小学校までを高見島で過ごし、都会での生活を経験した後、ご両親の面倒を見るために7~8年前に高見島に戻って来ました。学生の頃は長期休暇の度に数週間単位で島に戻って来ており、島にはたくさんの思い出が詰まっています。初子さんが島で一番好きなのは東の海から昇る朝日で、いまでも毎日写真を撮り、大阪の娘さんやお孫さんにメッセージで送っているそうです。また最近ではお孫さんのリクエストに応えてヤギを飼い始め、島に訪れる観光客の心を和ませています。今年お孫さんが島に遊びに来るのがいまから楽しみです。初子さんは島で自然と寄り添う暮らしをしながら、都会のお友達とも連絡をとり合い、本当に楽しい生活を送っていると言います。もしも皆さんが高見島を訪れることがあるなら、きっとフェリー乗り場で坂元さんの優しい笑顔に出会うことでしょう。
傾斜地の集落の中を散策していると、風情のあるお寺や神社を発見できます。小さな島にも関わらず、島内には1ヶ寺、1神社があります。
島の大半が山という高見島では、その傾斜を利用して家を建てています。浦集落は約30度という急な傾斜地に、高い石段を階段上に築いて集落を形成しています。
浜集落の高見八幡には模型和舟が1755年(宝暦5年)に奉納されており、この模型は弁才船の縮尺10分の1の精巧な模型で、亨保年間以降の特徴をはっきり示しています。 ※現在は多度津町立資料館に展示(県指定文化財)
龍王山(297.3m)には、宮があり雨乞いや大漁祈願の祭りが行われています。また、山頂からは弥生土器が見つかっており、弥生時代の高地性集落があったとされています。頂上付近にある龍王宮社叢は県指定文化財となっています。
瀬戸内海に面した多度津港周辺では、四季折々の瀬戸内海でとれる魚介を楽しむことができます。多度津町を訪れたなら、 食事処にもぜひ立ち寄って「新鮮な魚介類」をご堪能ください。
かつては西日本有数のブドウの産地であった多度津町の白方・見立地区ですが、近年では後継者不足から耕作放棄地が拡大していました。この状況を打破すべく、平成22年に「多度津オリーブ部会」が立ち上がり、オリーブ栽培への転換が進んでいます。100%多度津町産にこだわったオリーブオイルの出荷も始まりました。瀬戸内海の島々と夕陽を同時に眺めることが出来るオリーブの丘は、今後多度津町のシンボルとなってゆくことでしょう。
多度津町に新しい名産が誕生しました。オリーブオイルです。かつてのブドウ農園をオリーブの畑に転換し、100%多度津町産のオリーブオイルで勝負をしようと数年前に立ち上がったのが多度津オリーブプロジェクトです。その後、栽培や搾油は順調に進み、2013年から本格的に販売を開始しました。2016年にはさらなる事業拡大を目指し、新しく株式会社蒼のダイヤが設立されました。この会社の代表を務めるのが渡邊雅春さんです。渡邊家は代々多度津町で農業を営む家系ですが、雅春さんは一流の経営者でもあります。35年前に設立した自らの会社ではいまでも代表を務めており、その経営手腕を買われ、新会社の代表に抜擢されました。オリーブを使った地方再生を目標に、ブドウの耕作放棄地をオリーブに転換すると同時にシルバー雇用を拡大し、今後急増する高齢者に働き場を提供する予定です。県内では後発と言えますが、とにかく「本物で勝負する。」ことで、多度津町にダイヤの輝きを灯そうとしています。
多度津港は江戸時代より、北前船の寄港地として栄え、全国から様々な物産や情報の集まるさぬき一の港として発展してきました。港町の乗組員さんとの何気ない会話も、素敵な旅の思い出となるはずです。
多度津港と高見島、佐柳島を結ぶフェリーの運航を一手に引き受けているのが三洋汽船株式会社の皆さんです。乗組員は3名ずつのローテーションで船の操縦やお客さまの乗り降りを切り盛りします。この日は船長の谷口耕一さんを筆頭に、機関長の則久浩三さん、若手の三井隆伸さんが担当されていました。則久さんは高校を卒業と同時に船乗りになり今年で32年目を迎える大ベテランです。三洋汽船に勤めるようになってからは10年ですが、ほとんどの島民の顔と性格を把握していると言います。高見島から佐柳島にかけては瀬戸内海でも一際波が高いエリアなので、いつも「お客さまの安全を第一に。」舵を切っているそうです。ホテルマンから転身した三井さんは今年で3年目。高齢者の乗り降りを優しく手助けする姿がとても印象的です。島の住民にとってフェリーは最も大切なライフラインです。これからも三洋汽船の皆さんが島の暮らしを支えていきます。
多度津港からフェリーで約50分、高見島の先にある小さな島です。島の南側から山に伸びる石段を登っていくと中腹には大天狗神社があり、そのさらに奥からは瀬戸内海の絶景を望むことができます。かつての土葬の風習をいまに伝える、埋め墓と参り墓からなる両墓制は香川県の有形民俗文化財にも指定されています。
佐柳島の本浦地区にとても素敵なご夫妻がいらっしゃいます。籔 陽さんと昌子さんのお二人です。陽さんは佐柳島で長男として生まれ育ち、18歳で大阪に出たあと定年を機に島に戻って来ました。小さな頃から大の釣り好きで、今年でUターンして16年目を迎えますが、いまでも毎日磯に足を運んでいます。二人は島を離れていた間もお盆やお正月には欠かさず里帰りをし、島との関係性を維持して来ました。その信頼のおける人柄から、島に戻って来るやいなや自治会長など地区の要職を任され、いまでは夫婦ともども大忙しの毎日を送っています。大天狗神社へとつながる参道の整備をリードして来たのも陽さんで、高齢になったいまでも「キレイな島でありたい。」と手入れを続けています。昌子さんは昔から島で一番の働き者で、お祭りや行事の際の炊き出しではいつも大活躍です。二人は今年でご結婚から50年を迎えましたが、取材中も二人の間には笑いが絶えることなく、この底抜けの明るさが高齢化の進む島を支えているように思えました。
本浦に位置する八幡神社には、1824年(文政7年)奉納の北前船の模型があります。交易の成業としていた当時の佐柳島の人たちのようすを偲ぶことができます。
つづら折りになった石段を登り、頂上まで行くと、珍しい大天狗の石像があります。参詣すると、失せ物が見つかり、また、泥棒除けにもなるという言い伝えがあります。
佐柳島・高見島ともに土葬の風習のなごりから埋め墓と参り墓の2つの墓で構成された両墓制になっています。特に長崎の埋め墓は埋葬した上に浜辺の丸い石をごろごろと盛り上げて作られており日本の埋葬の歴史を知る上で大変貴重です。